fujikawa富士川町の魅力 BAUM ARURAがある富士川ってどんなところ?道の駅富士川からちょっと足を伸ばして訪れたいステキなところを紹介します。 ダイヤモンド富士 ダイヤモンド富士 道の駅富士川からは富士山の姿が見えないけれど、同じ富士川町から見る富士山は、詩人で、歌人で、画家で、彫刻家の高村光太郎が絶賛したほどの美しさ。 中でも“日出る里”と呼ばれる高下(たかおり)地区は、ちょうど富士山のてっぺんから朝日が昇るという、“ダイヤモンド富士”が見られる絶景ポイント! 1年のうちでもめったに見られない希少な現象が高下地区ではお正月の初日の出に、ちょうど見られるので、全国からたくさんの人が集まります。 恩賜林 恩賜林 明治のおわりに次々と起こった大水害のせいで、山梨の人たちの暮らしは大ピンチ!それを知った明治天皇は、皇室が持っている県下の土地や林のほとんどを下賜され、みんなの役に立てるようにしてくださったのです。富士川町の豊かな緑は今も「恩賜林」と呼ばれ、地元の小学生による「緑の少年少女隊」が手入れをしています。 舂米学校 富士川町 舂米学校 道の駅富士川の建物にはモデルがあるら。それが旧舂米学校の校舎。六角形の塔の部分には時を告げる太鼓があって、「太鼓堂」の愛称で親しまれています。校舎は明治9年に建てられた擬洋風建築。当時としては、かなりモダンな校舎です。今は民俗資料館になっていて、いろんなものが展示されています。“ヘルン・モナーちゃん”と名付けられた青い目をした人形は、戦前にアメリカから日本各地の学校に送られた友好のしるし。開戦とともにそのほとんどが焼却されたという希少なもの。展示品によって、歴史の移り変わりを知ることができます。 富士川龍門(道の駅 富士川内) 富士川龍門 道の駅富士川の建物の裏手にそびえ立つのは“ゲージツ家”のクマさんこと篠原勝之氏の作品です。釡無川と笛吹川が合流し富士川となるこの場所にぴったりの登竜門をイメージした、高さ8mのモニュメント。下の丸い穴から中に入って空を見上げると、まあるいバウムのような、あなただけの空が見えるはず。 ゆず フルーツ王国やまなし 山梨県の気候は、昼と夜の気温差が大きく、おひさまの当たる時間が日本一長いうえに、雨が少ないのです。昼間、おひさまの光がたくさん当たると、農産物を甘くするでんぷんが作られます。夜の気温が低いと、そのでんぷんは使われず、フルーツの内部に貯えられ、糖分に変わります。だから山梨県で育ったフルーツはとっても甘くておいしいものばかり。フルーツ狩りも楽しそう。流通の規格にあわない柚子やぶどうをバウムに活用して、フードロスにも貢献できるといいな。 棚田 平林の棚田 昼と夜の気温差が大きい甲府盆地の南西隅に位置する旧穂積町。南アルプスの前山となる櫛形山の中腹に、平林の棚田はあります。段々になった棚田は、台風ニモ負ケズ、地震ニモ負ケズ、美しい石組みで縁取られた水田です。そびえ立つ山々のミネラル豊富な雪解け水と、森の落葉樹の養分が流れ込み、おいしいお米が育ちます。あるらのバウムは、このお米からできています。四季折々に美しい棚田と富士山の組み合わせも人気で、平林の棚田は「関東の富士見百景」にも選ばれています。 八ヶ岳 八ヶ岳 むかしの火山活動によって誕生した八ヶ岳は日本を代表する山岳。地元では「2,000m以下は“丘”」と言われるほどです。南北約25km、東西約15kmにわたり山梨県と長野県にまたがる、赤岳を最高峰とする個性豊かな山の連なりは、ごつごつとしたハードバウムにちょっぴり似ているかも!?ひらけた高原地帯は特に夏の避暑地としても人気です。 富士川 富士川舟運 江戸時代のはじめ頃から昭和のはじめにかけて、富士川には“舟運”といって、たくさんのものを運ぶ川の道がありました。年貢米を江戸まで運べるようにと、5年をかけて川の道を整えたのは、京都の豪商・角倉了以。お米を運んだ帰りの舟に、船頭がお茶や塩など各地の名産品をのせて戻ったことから、たくさんの人や物が集まる場所へと発展していきます。舟運は鉄道が開通するまで約300年にわたって活躍。道の駅富士川もたくさんの人や物が集まってくる場所。今度はここから、お米でつくったバウムの輪を全国に広げていきます。